カ ト リ ッ ク 土 浦 教 会

マイケル・コールマン神父からのメッセージ NO.1 (2008.5)
苦しみの意味

人間にとって、大きな問題のひとつは「苦しみ」です。

誰一人、苦労、苦しみの存在を否定することはできません。今の時代はこんなに発展していても、苦労はなくなるどころか、ますます大きくなる有様です。

人間である以上、苦しみは生活につきものです。少なくとも、二種類の苦しみがあります。そのひとつは、避けられない苦しみ…からだの障害、貧困、失業、台風や水害、地震などの災害…が、多かれ少なかれ私たちの生活にのしかかっています。

もうひとつの種類の苦しみは、自発的に選び取る苦しみです。たとえば受験勉強、出産、またはやせるための努力などです。 なぜ私たちには苦しみがあるのでしょうか。もし神様が私たちをとても愛してくださっているならば、どうして苦しみをお許しになるのでしょうか。 神様は慈悲深いお方であるはずなのに、なぜ我々子供たちに苦しみをお与えになるのでしょうか。

お父さんが子供に罰を与える理由は、子供がきらいだからでしょうか。

まったくその反対です。お父さんは子供がかわいいからよい子として成長するために、罰を与えることがあります。「かわいい子には旅をさせよ。」ということわざがあります。 つまり、自分のかわいい息子や娘を家から出して旅をさせ、それが子供たちを試練にあわせることになっても、かえって成長することに期待をかける、という意味です。

ほかにも同じようなことわざがあります。

「鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。」【箴言13:24】あるいはお医者さんの例でも同じことが考えられると思います。お医者さんが苦い薬をのませたり、 手術をもって患者を苦しめる理由は患者さんを嫌いだからでしょうか。いいえ、それはかえって患者さんを助けるためです。こういう風に考えたら、苦しみは悪いもののではなく、かえって必要なもの、価値があるものだということがわかります。

つまり、私たちの父である神様は、私たちがかわいいから、日常生活の苦しみをお許しになるのでしょう。

作家の水上勉さんの娘の直子さんは、生まれつき重い脊髄の病気がありました。彼女は一歳のときに脊髄の手術をし、さらに4歳の時に、今度はお母さんの腰の骨を移植する手術を受けました。 そして3年ぶりに別府の病院から東京の自宅に、松葉杖をつきながらもよろこんで帰ることができました。これはそんな娘さんを見守ってこられた水上さんのことばです。 「人間には体の障害もあれば、心の障害もある。娘はその苦しみを負わされてなんかいませんよ。抱いてともに歩いているのです。 その苦しみに対して、すばらしい態度です。」

確かに苦しいときには、自分がどれほど弱いものであるか、思い知らされます。自分の力に頼っても、何ひとつ役に立ちません。 やはり神様の力を願うこと、神様のその力がどうしても必要です。その祈りはこうです。

主よ、弱い私を助けてください。この苦しみに耐える肩を強くして、この苦しみに耐える力をください。アーメン。


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