カ ト リ ッ ク 土 浦 教 会

マイケル・コールマン神父からのメッセージ NO.4 (2012.2)


どうゆうテーマよりも、やはり、愛についての書き物は圧倒的に多いと思います。
“愛とは何か?”、“愛の秘訣”、“愛の精神”などの題で、皆さんもいろいろの雑誌や本を読んだことがあるでしょう。最近は特に、男女の愛について歌や映画などたくさんみられますので現代の人々にとって、これこそ本当の愛であると思わされるかもしれません。 今日は男女の愛についてふれるつもりではないですけれども、ときたまそれは、ただの美的、肉体的なものであるということは、みなさんがよくご存じのことであります。
本物の愛は自分のことより、相手のことを考えるものです。
相手のために、よろこんで犠牲をはらって苦しみに耐え忍ぶものです。
相手を喜ばせるように全力を尽くすものでもあります。
一言で言えば、もらうものではなく、与えるものです。


今からおよそ80年前のハワイには、数多くのらい病人がそれほど増えてきましたので、 ハワイの政府は非常に困りました。そしてついに、これらのらい病人を集めて、モロカイというところに島流しにすることに決めました。当時のモロカイには、なにもなくて、もちろんらい病者の面倒をみるひともいません。そういうわけである人々は、船から降りたところで倒れ、 そこで死んで、体が腐敗して分解してしまいました。
そのような状態にもかかわらず、 ダミアンというベルギー人の神父は、さっそくモロカイにいきました。 しかし行くときに、二つのことが良くわかりました。つまり一生帰ることができないということと、 確実にらい病で死ぬということでした。向こうに着いたときに、かわいそうならい患者のために 病院を建てたり、水を引いたり、いろいろのてんで面倒をみてくれました。と同時に死んでからやはりお棺を作ったり墓を掘ったりするのは、ダミアン神父でした。しかしらい病はうつりやすいものですので、彼は10年間の犠牲の多い生活を終えて、愛するらい病人にかこまれて、 らい病で死んでしまいました。
“隣人のために命を与える以上の大きな愛はない。”と聖書に書き記されております。
愛の精神で燃えている一人の人の努力のために、数多くの人々の生活に希望と喜びを与え、苦しみを軽いものにしました。ここには本物の愛がみられるにちがいありません。

キリストはこの世にいる間に、行いと言葉によって、愛の精神を私たちに教えてくださいました。 困っている人達を助けたり、悩んでいる人を慰めたり、病人を癒したりして、
やはり全生涯を人々のためにおくられたのです。
私たちもキリストの模範に習って、より深く、より広く、人々を愛する心を養うように。
自分の近所や町に、一人ぼっち、一人暮らし、身寄りのない年寄りを積極的に探し、彼らのところに愛をもたらすように。 自分の心の中に燃えている愛をそれらの兄弟に分かち合うということです。
皆さん私たちのできることは、それほどありませんけれども、愛の手を差し伸べることによって、 もっと明るい、もっと住みよい社会にするために一生けんめいに努力いたしましょう。


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