カ ト リ ッ ク 土 浦 教 会

山田宣明神父からのメッセージ NO.5 (2007.8)
詩編 139


 聖書の中に「詩編」という本があります。 そこには、人間の神に対する様々な感情を歌った150の詩が納められております。 旧約時代に共に祈り、共に歌われてきた詩がまとめられた詩集です。 キリストも弟子たちと共に詩編を唱えており、教会も現在に至まで、詩編で祈り、詩編を歌う習慣を大切にしております。
 この祈るためという本来の目的のために、特別「詩編」だけを訳した本があることを、 カトリックの方でもご存じない方がいらっしゃるのではないでしょうか。 それは、典礼委員会が、あかし書房から発行している「詩編」です。 トラピストの高橋重幸神父様が中心となって訳されたものです。 初版が1972年ですから、出版されてから大分経ちますが、 当時、或るシスターが、この訳が出たおかげで、初めて聖務日課(教会の祈り)が心から祈れるようになったと喜んでいたのを思い出します。 典礼聖歌もこの訳が使われております。 典礼の専門家である或る司祭は、この訳は、日本の教会の宝ですとおっしゃっておりました。 現在は、十数版になっていると思います。

 この150編の詩編の中で、詩編139は、神が私たちの全てを知り、私たちの幸せのために全てをはかられ、 共におられ、お働きくださることへの信頼にあふれた美しい歌です。
 英語のミサに与っていた或る日、この詩編139の一部が唱えられておりました。 ところが、「わたしを造られたあなたの業は不思議」(14節)という箇所を 「わたしを素晴らしく造られたあなたの業は」と唱えているのでドキッとしました。 その英語の表現を聞いて、何だか「お前は素晴らしく造られている」と言われているように感じたからです。

 そこで、ヘブライ語の原文はどうなっているのかという興味を覚え、ヘブライ語に通じている方に尋ねてみました。 その方によりますと、この箇所は、「わたしを造られた業は不思議」とも「わたしが、不思議に造られた業」とも訳せるそうです。 そればかりではなく、この箇所は、「わたしが、並外れて造られた」とも「わたしが、神秘的に造られた」とも 「わたしが、素晴らしく造られた」とも訳せるというのです。
 また、その方は、この「わたしが素晴らしく造られた」の「素晴らしく」は、深い神秘性を含み、 心の奥底で造り主である神と結ばれている人間の深みをも意味していると言うのです。

 私の奥底には、私さえ解らない私がいるということになります。何と素晴らしいみ業でしょうか。 そして、その神秘を悟って歌うこの詩編は、何と素晴らしい祈りでしょうか。


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