カ ト リ ッ ク 土 浦 教 会

山田宣明神父からのメッセージ NO.6 (2007.11)
詩編 23


今から約40年も前になりますが、初めて日本を離れ、合衆国で神学の勉強を始めた神学校一年生の時のことです。 英語もままならず勉強も苦しかった上に、一年先輩の神学生と気まずい関係になり、悩んでいたことがありました。 その先輩と顔を合わせるのもつらく、一日中元気が出てこない辛い毎日が随分続いたように思います。 自由時間を見つけては聖堂に入り、相手に対する不平不満を神様に訴えながら、その悩みから開放されるように毎日願い続けておりました。
ある日、やはり聖堂に入って祈り始めましたが、同じ祈りの繰り返しにも疲れ、ひざまずいて祈るのにも疲れて、聖堂の椅子に腰をかけ、 ポカーンとしていたとき、ふと近くに聖書があるのに気付きました。 何気なくその聖書を手に取り、無造作に開いたページに目を落としました。 すると突然そのページから「あなたには私の恵みで足りる」という言葉が浮き出たように目に飛び込んで来たのです。
その時の驚きと喜びは、どう表現してよいか解りません。 その言葉は、パウロが苦しさに喘ぎながら、そのトゲを取り除いて下さいと三度神に祈った時、パウロに与えたられた神の答えです。 勝手な解釈とも言えますが、とにかく、私としては、その時神が直接私の祈りに答えてくれたと直感したのです。
その後、先輩との関係には特に変わったことはありませんでした。 しかし、その体験のおかげで、その先輩が全く気にならなくなり、何時の間にか彼とも普通の関わりに戻っていたように思います。 戻っていったことさえ気付かない程でした。
話は最近の出来事に飛びますが、ある方が「詩編23は、私の好きな詩編です。」と話して下さいました。 私にとってもこの詩編は「緑の牧場に伏させ、憩いの水辺に伴われる」という表現が美しいので、好きな詩編の一つでした。 でも、その方は「わたしは乏しいことがない」という言葉が好きだと言うのです。 なぜなら、神がおられるので、わたしには乏しいことがないと言うのです。
そのお話を聞き、「神は、わたしの牧者、わたしは乏しいことがない。」という言葉を見て、直ぐ浮かんできたのが、 あの神学生時代の体験と「あなたには私の恵みで足りる」という聖書のことばです。 主の恵みで足りるなら、乏しいことがないはずです。 それまで「わたしは乏しいことがない」という言葉は、何度も唱えておりましたし、 典礼聖歌でも何度も歌っておりましたが、特に注意を払っておりませんでした。 でも、有り難いことに、その時から私にとってもこの詩編23の言葉は、意味深い祈りのことばとなってくれました。


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